7の付く年は暴落というのは、本当か?
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株式相場のアノマリーとして、「7の付く年は暴落」というのがある。
1977年、1987年、1997年、2007年、などといった年は、大きな暴落があるという意味らしい。
7の付く年と言っても、10年に一回しかないので、統計的にはあまり信頼できるレベルの情報ではないが、これは本当なのか?
ということで、月足チャートと株式市場のトピックスを書き入れた図表を作ってみた。
これを見て、本当に「7の付く年は、暴落がある」と言えるのかどうか、ちょっと考えてみる。
日経平均 月足チャート(1990年代)
まず90年代の月足チャート(91年から99年12月)をみると、バブル経済のピークから株価が下落しているところから始まっている。
この時期の前半は、海外投資家が日本の株式市場に参入してくる以前の話で、あまりヘッジファンドや海外の機関投資家の動向に左右されていない時代だ。
この期間は、大きな下落が何度も起こっている。
また阪神・淡路大震災の半年前にもピークが来ており、震災で下落幅が大きくなった。
ただ95年の後半は切り返し、元の水準まで戻っている。
そして問題の1997年7月には、アジア通貨危機が起こり、日経平均は下落トレンドに入る。
アジア通貨危機というのは、簡単に言うと、米ドルに対する固定相場制(ドルペッグ制)を敷いていた国に、ヘッジファンドがカラ売りを仕掛けたのが引き金となって、通貨の暴落が起こったという事件だ。
ヘッジファンドがなぜカラ売りを仕掛けたかというと、米ドルの価値が上がっていくのにつれて、これらのアジア諸国の通貨も上がるが、これは実態とはかけ離れているからだ。
米ドルが上がる→固定相場制のアジア諸国の通貨も上がる→アジア諸国の通貨は実際より高く評価されている→高すぎるならカラ売り…ということだね。
そして固定相場制を取っている国は、固定相場制を維持するために、カラ売りされたら、それをドルで買わざるを得ない。
その結果、外貨準備資金(ドル)が底をつき、変動相場制に移行せざるを得なくなり、アジア諸国の通貨は軒並み暴落した。
またドルが底をついたタイ、インドネシア、韓国などはIMF管理国となってしまった。
固定相場制を敷きながら、海外からの投資を呼び込んでいたため、その矛盾をヘッジファンドに疲れてしまった格好だ。
ということで、1997年に始まったアジア通貨危機で、日経平均も下落トレンドが1年ほど続いた。
7がつかない年でも、大きな下落トレンド
7の付く年は暴落?の検証の続き。
次は2000年代の最初の10年の月足チャートの検証から。
日経平均 月足チャート(2000年代)
1997年のアジア通貨危機は、1年くらい株価を押し下げたが、その後はまた上昇し始めた。
この時期は「ITバブル」と呼ばれ、IT産業に期待が集まって、猫も杓子もITという言葉を使い始めた時期だ。
2000年に入ると、ITバブルが弾け、光通信などは20営業日連続ストップ安という、とんでもない投げ売り状態に陥ってしまった。
日経平均も、2万円台の高値から、1年半後には1万円を割り込むまで下落。
90年代のバブル崩壊による不良債権処理が未だに進んでおらず、銀行などの金融機関も身動きが取れない状態だった。
そこで小渕内閣では、銀行への公的資金注入が行われたが、銀行の倒産は続き、不良債権も増える一方だった。
2001年4月に小泉政権が誕生し、「聖域無き構造改革」と題し、強制的な不良債権処理に取りかかったのだが、株価が底を打ったのは、2年後の2003年5月のことだった。
そして問題の2007年8月には、フランスのBNPパリバ銀行の傘下のファンドがサブプライムローンの解約凍結を発表し、一気にサブプライムローン問題が顕在化した。
この影響が翌年のリーマンブラザーズの破綻につながり、リーマンショックが世界経済にとどめを刺した。
こうしてみると、確かに近年、7の付く年は大きな暴落から下落トレンドが起こっているが、7がつかない年でも、大きな下落トレンドが始まっている。
2000年3月から始まったITバブル崩壊の下落トレンドも、かなりデカいから、特に7の付く年だけを警戒するのも、どうかと思うね。
まあ2017年がどうなるかは分からないけど。